大判例

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東京高等裁判所 昭和59年(う)1295号 判決

国籍

韓国

住居

東京都葛飾区立石三丁目四番一二号

会社役員

野山辰夫こと宋相赫

一九二五年七月二一日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五九年六月二九日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、弁護人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官佐藤勲平出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人本田正義名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官佐藤勲平名義の答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。

そこで、記録を調査して検討すると、本件は遊技場(パチンコ店)及びプラスチック加工業を営んでいた被告人が自己の所得税を免れようと企て、右遊技場における売上げの一部を除外するなどの方法により所得を秘匿したうえ、昭和五五年分ないし昭和五七年分の所得税につき虚偽・過少の金額を記載した所得税確定申告書を提出し、三年分の所得税合計二億九四七二万五三〇〇円をほ脱したという事案であって、ほ脱した所得税の総額が三億円近くという巨額に上っていること、ほ脱率が各年分とも九〇パーセントを超えていること、本件脱税の動機は過去の窮状にかんがみて将来のために資産を蓄積しようとしたもので特に酌量すべき点はないこと、被告人は遊技場の開業当時から妻に指示して毎日の売上の一部を除外させていたほか、昭和五六年、五七年分については、仕入れを水増ししたり、架空の改修費を計上するなどして所得を過少に申告していたものであって、本件は計画的な犯行であり、被告人の納税意識の低さは顕著であるといわざるを得ないことを考え合わせると被告人の罪責は重大である。

そうすると、被告人は本件対象年分を含む昭和五三年分から昭和五七年分までの五年分の所得税につき修正申告をし、既に本税を完納し、加算税、延滞税についても分割支払いを確約し現在履行中であること、本件脱税の態様はそれほど巧妙なものではなく、そのためパチンコ店開業以来簿外で蓄積した所得の大半を査察等により捕捉され正規税額を追徴されたものと認められること、被告人が反省し今後このような誤りをくり返さないことを誓っていること及び被告人はこれまで真面目に働いて来て、古い罰金刑が一回あるほか処罰歴もないことなど被告人に有利な諸事情を斟酌しても、被告人を懲役二年及び罰金七五〇〇万円(懲役刑につき四年間執行猶予)に処した原判決の量刑は、罰金額(ほ脱税額に対する罰金額の割合は約二五・四パーセントにあたる。)の点をも含めて、重過ぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 小田健司 裁判官 阿部文洋)

○ 控訴趣意書

被告人 野山辰夫こと

宋相赫

右の者に対する所得税法違反被告事件につき、左記のとおり控訴趣意書を提出する。

昭和五九年九月一七日

右弁護人 弁護士 本田正義

東京高等裁判所

第一刑事部 御中

東京地方裁判所刑事第二五部は、被告人に対し、懲役二年、四年間の右刑の執行猶予及び罰金七千五百万円の判決を言い渡した。第一審における被告人質問に対する供述、証人金相礼の同審における証言及び昭和五九年二月二四日付、同月二八日付、同年三月一日付、同月六日付の被告人に対する各検察官調書の供述記載を総合すると、次のような事情が認定できるので、第一審判決の量刑は、重きに失し、破棄を免れないと思料する。

第一 在日韓国人たる被告人の経歴

1. 被告人は、韓国の貧困の農家に生育したため、学歴は小学校四年卒。昭和一六年に貧困のため一家(両親と兄弟六人)をあげて来日した。被告人は、宇部市、羽幌市において土工、炭鉱夫などをして家計を補ったが、海軍に徴用されて北千島において就労せしめられた。終戦後上京して、日傭人夫、タクシー運転手(約六、七年勤務)などを行ない、生計をたてた。

昭和三四、五年ごろから船橋市でプラスティック屑回収業を始め、昭和三十六年ごろから右屑を原料としてプラスティック再生加工業を野山商店の称号で始めた。この再生加工業が、好運にも昭和四八、九年のオイル・ショックに際会して、プラスティック製品の価格の高騰を招き、思わざる収益をあげるに至った。しかし、この好運も昭和五三年ごろまでであって、昭和五四年から再び赤字経営に転落することになるのである。

2. 被告人は、オイル・ショックによる右収益である四、五千万円と銀行からの借入金などを集めて、昭和五〇年末には鎌谷市に土地を購入しバラックを建て、信栄ホールの称号で個人営業のパチンコ業を開始した。

このパチンコ営業は、主として妻の金相礼と長男の聖国にすべてを任せ、被告人は、従来どおりプラスティック再生加工業に専念した。従って、被告人は、信栄ホールに顔を出すのは、二、三ケ月に一回位であり、また、その営業成績については、毎月一回ぐらい妻から報告を聞くという程度の関与であった。

被告人は、小学校四年卒という学歴であったうえ、どちらかというと数字に弱い性格であったため、妻から報告を受けたとしても、信栄ホールの営業実績については、必ずしも正確な認識をもっていたと認めることはできないのである。

第二 信栄ホールの営業実績

1. 被告人の専念したプラスティック再生加工業は、昭和五四年から再び赤字に転落したが、被告人は、これを黒字として確定申告した。これは、当時信栄ホールの業績があがっていたため、その収益を右再生加工業につぎ込んだものである。

被告人がこのような無理を敢えてしたのは、再生加工業の赤字転落を申告すると、税務調査を受け、信栄ホールの収益にまで調査の手ののびることをおそれたためともいえるが、被告人としては、初めて手がけた事業である右再生加工業が赤字に転落したと公表されることをおそれたためともいえるのである。

2. 信栄ホールは、開業当初は、月九〇〇万円から千二、三百万円程度の売上げにすぎなかったが、昭和五六年六月にパチンコ機械フィーバーを導入してから馬鹿当りをして、同年末には月の売上げが一億円から一億二千万円にも達するようになった。このフィーバー機械は、その後使用禁止となったため、信栄ホールの経営は、昭和五九年ごろから赤字に転落することになる。

第三 本件脱税事件の特徴

1. 本件脱税事件の特徴は、第一に、八方破れの事件だということである。

脱税手段として売上げ除外という方法をとったにも拘らず、二重帳簿も作らず、また、プラスティック再生加工業については、全く帳簿を作らないという脱税方法として幼稚きわまるというか或は脱税の意識の認められない手段をとったのである。従って、ひとたび税務調査の手がはいると、たちまちにして脱税事実がすべて明るみに出ることは明らかである。

また、売上げ除外により秘匿した裏金の大部分は、一斗罐の空罐三個に現金で詰め、これを自宅に保管するという原始的な秘匿手段をとったのである。このことは、現金を手許に置いておかなければ、不安であるというあらわれといえるのである。

2. このような幼稚にして拙劣な脱税手段をとったのは、被告人が貧困な家庭環境の下に成育した在日韓国人であったことと密接な関係がある。在日韓国人は、日本人から差別待遇を受けるとともに、銀行からも、資本系列からも、金銭的援助を受けることが極めて困難な情況に置かれた。このような環境の下では、現金こそが唯一の頼りであり、現金をもたなければ、日本では誰も相手にしてくれないということをたたき込まれてきたのである。

このことが、手段を選ばず現金を入手できる途があれば、これに被告人を走らせたのである。被告人は、「一種の保険のような考えで裏金を作った」との供述記載(昭和五九年三月六日付検面調書)があるが、被告人として現金こそが生きる手段であるといいたかったのであろう。被告人の意識としては、本件の裏金を作るに当って脱税をするという意識は弱かったといえるのである。そして本件の摘発により事の重大性に驚き、合計金二億九千七百万円にも及ぶ金額を本税分として納付したのである。

3. 本件の第二の特徴は、信栄ホールの営業成績がフィーバー機導入を契機として短時間に急上昇したため、これに対応して税金対策を用意するいとまというか、余裕がなかったということである。

仮りに、信栄ホールの営業成績が徐々に上昇したとすると、税金対策もこれに順応して適当な方法を採ることができたと思われる。例えば、専任の税理士を雇って税金対策を講ぜしめるとか、法人組織に改組するとか、又は収益の配分に工夫をこらすとかの対策がとれた筈である。しかるに、これを行ういとまがない程度に短期間に営業成績が急上昇したため、本件脱税事件を発生せしめたともいえるのである。

4. 被告人は、数字に弱い性格のうえ、税法にも暗かった。このため、信栄ホールの経理事務は、一切を妻金相礼に任せたのである。

本件の脱税方法については、被告人は、信栄ホールの開業当初において、妻に対し、「お店の小遣銭ぐらいは、とって置けよ。」と指示したにすぎないのである。従って、売上げ除外の方法により、売上げ額の二割乃至三割を裏金としたのは、専ら妻の発意によるものであって、被告人の指示した割合ではない。また、裏金を一斗罐に詰めて自宅に保管したのも、妻の発意によるもので、被告人はこれを見ていないのである。

信栄ホールの毎月の裏金の残高がどの程度に達していたかも、被告人は、妻から正確に報告を受けていなかったと認められるのである。

第四 本件発覚後の情状

1. 被告人は、本件脱税事件が摘発されるや、直ちに修正申告をなすとともに、昭和五五年から五七年までの三ケ年分として、合計金二億九千七百万円を本税分として納付した。また、延滞税を含む重加算税として合計金一億千二百八六万四千二〇〇円を支払わなければならないが、月二百万円の月賦納付の認可を受け、昭和五九年六月以降毎月確実に納付している。

2. 被告人の事業所得に対する事業税相当額は、その賦課決定通知のあった年度の必要経費として本税分から減額されることになっている。ところが、本件告発を受けた時点では、地方税務当局から事業税の賦課決定通知がなされていなかった。もし地方税務当局が遅滞なく事業税の賦課決定通知を行ったとすれば、事業税の額は、

(ⅰ) 東京都税事務所分

(イ) 昭和五五年度 九六一、七〇〇円

(ロ) 昭和五六年度 二、〇五六、七〇〇円

(ハ) 昭和五七年度 三、八三七、五〇〇円

(ⅱ) 千葉県税事務所分

昭和五七年度 一五、四三四、七五〇円

以上合計金 二二、二九〇、六五〇円

となるから、この合計金額に相当する額を必要経費として減額することができたのである。

なお、これらの事業税の賦課決定通知は、昭和五九年八月一〇日付で被告人の許に届いている。これらの文書は、必要に応じ証拠として提出する予定である。

第五 その他の情状

1. 身体障害者たる被告人

被告人は、昭和二八年に前記再生加工工場において、左手首骨折の障害を受け、爾来左手先を自由に使うことができない。また、昭和四五年には同工場にて製品の下敷きになり、せきついをずらせたため、爾来座骨神経痛が持病となっている。従って、被告人は、身体障害者ということができる。

2. 被告人の資産関係

被告人の現在の資産、負債の関係は、

(ⅰ) 資産

(イ) 預金

信栄商事(株)名義の定期預金 一億円

被告人個人名義の定期預金 一億円

(ロ) 土地

葛飾区所在の土地約六〇坪 時価 三千万円

信栄ホール所在の土地約一三〇坪 時価六、七千万円

(ハ) 株式

信栄商事(株)の株式(総額面千万円)の約二割

宝商事(株)の株式(総額面五百万円)の約一割

ただし、右定期預金及び土地は、いずれも担保に差し入れてある。

(ⅱ) 負債

(イ) 東京相互銀行葛飾支店より 六億四千万円

(ロ) 大生信用組合より 二千万円

を借り受けているが、前記定期預金などが担保となっている。

× × ×

以上のように、被告人の資産関係は、著しい債務超過に陥っているから、第一審判決の罰金刑である七千五百万円は、被告人として事実上支払うことのできないといえるほど、窮迫した財政関係にある。

このような情状を十分ご斟酌いただき、改悛の情の顕著な被告人に対し、特に御寛大な判決を賜わりたく、お願いする次第である。

以上

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